ultlife

色々なことを書きます。

思い出は呆れるほどに。

小さな頃は空に限らず今よりも色々なものを見上げることが多かった。

よくよく考えてみるとそれは自分の背丈が今よりもずっと小さくて、見える景色も低くてそれでいて少しだけ狭くて、でも色々なものがすごく大きく見えて、そこからしか見ることができない景色だってたくさんあったと思う。

 

いざ大人になると昔見てた色々なものがちっぽけに見えて仕方がない。それと同じくして日々の中で色々な大切なものを見落としてしまっている気がしてならない。そういうものの大切さは大概後になって気が付くことが多いし、でも大人になるってそういう事なのかなと思ったりして、見える景色や感性は以前と比べて豊かになったはずなのになぜだろう、

 

今がそうであるようにそこから見えた景色も思いも僕たちは少しずつ忘れてく、それが悲しくて苦しくて、だからたまに思い出をなぞる様に懐かしい景色を眺めたり、昔あの子と歩いた道、赴いた店、もうあの子は居ないからとあの時よりほんの少しだけ美化された思い出と倦怠感、そっと宝箱にしまっておきたいそんな気持ちと一緒にあの時、あの瞬間を思い起して、言葉にするには少し難しいえも言われぬ気持ちになる。

 

この気持ちはなんで言葉にできないんだろう、もっとちゃんと言葉にして伝えておけばよかったな。なんて今更になってあの頃の自分に嫉妬と後悔を抱きながら帰路に着く。そんな余韻に浸りながら部屋干しのヨレヨレのシャツを眺める。こんな事に感傷的になって僕も随分歳をとったものだ。小さいころに自分が抱いていた大人の理想像と今の自分とのギャップを水に流すかのように缶ビールを身体に流し込む。全部泡になってはじけてしまえばいいのに。明日の朝、空になった缶を眺めながらまた後悔するのも分かってるのに。

 

誰にでも忘れられない忘れたくない瞬間や誰かが心の片隅にいると思うんです。きっとこの思いは何年、何十年たってもこの先どんなに大切で愛おしい人が出来ても変わらないだろうというような。

 

道理はわからないけど、どうやら思い出は呆れるほどに美化されるらしい。