表現する術を持たない僕たちは。
お久ぶりです。
いつのまにか4月になりすっかりと外も暖かくなり春の訪れを感じます。
新年度皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
かくゆう私もこの4月から社会人3年目に突入したわけで、、
3年目というとやはり周りからの見方も変わってきて求められるものがより大きくなっていわば、新人という括りから外される時期でもあります。時にはプレッシャーと戦い、寄り道なんかもしながらこれまでなんとか仕事を続けられた訳です。これからも適当に、無理せず頑張るつもりです。
さて、4月というと新学期のスタート、入学式、入社式、新生活などなど世間一般的には何か新しいものがはじまる、新しいものをはじめるのには絶好の季節です。
そんな中、何をはじめるでもなく4月第1週を無事いつも通り過ごして一人3月に取り残されてしまった訳ですが、これからでもまだ遅くはないと何か新しいことをはじめようと色々と詮索してみたのですが、いざ探してみるといいものが見つからずこういうのは無理にはじめるものでもないなと思い結局ふりだしに戻りました。それも僕らしいなぁと思ったりしながら。
近況報告はここまでにして、、
最近になって自分の思う事、感じた事を上手く表現できないことが多々あり違和感というかなにか手の届かないところのムズ痒さの様なものを感じてやまないです。まだまだ多感な時期というのもありますが、こうもたくさんあると気持ち悪ささえ覚えるわけで、、表現するのになにか相応しい言葉や方法はないかと調べてみてもしっくりくるものはなく、あぁこれはボキャブラリーの数とか表現技法の乏しさとは関係のないところで起きている問題なんだなぁと、解決策も見つからず少し悲しくなりました。
表現する術を持たない僕たちはきっと他の誰かが作った音楽や文章、作品だったりを聴いて、読んで、見て、安堵し、このムズ痒さを昇華しているのだと思う。でもその反面他人任せにする事で自分の可能性をどこか別の場所へ放っているような気がしてやまないのもまた事実で。
だから高度な表現方法や感受性に恵まれ生まれ落ちたアーティストや小説家、脚本家、映画監督などがこのうえなく羨ましい、自分と違う観点を持つ人との交流は大切にして、色々な人の感性に触れて自分の感受性を高めて表現の幅を広げたいな、と最近になってようやくそんな思いが強くなってきました。
そんなこんなで毎日、劣等感と羨望に埋もれながらも懸命に生きています。
今回は特にお題もなく淡々と語ってしまいました。
支離滅裂でとりとめもない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
よかったら次回以降の記事も読んでくれると嬉しいです。
それでは、ドロン。