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色々なことを書きます。

平成から令和へ

もう二ヵ月以上も前の事になりますが、元号が平成から令和に移行しましたね。

とは言っても自分の周りも変わったのは元号くらいなもので、、

ざっくりと平成について説明すると、1989年(平成元年)1月8日から2019年平成31年)4月30日まで、つまり第125代天皇の在位期間の事です。

 

昭和が64年間続いただけに平成はその半分ともいかず少し短くも感じました。

そういう事もあり昭和生まれの方々は元号またぎ、まさに平成ジャンプ(誰が上手いこと言えと)をし平成を最初から最後まで見届ける事ができ、少し羨ましくも思います。

 

かく言う僕も1998年平成10年に生を授かり約20年間平成を過ごしてきた生粋の平成男です。令和時代の到来により、そんな平成男も時代の流れに淘汰されて令和色に染まっていくのです。やがて染まりきれずはみ出た者たちがやれ老害だの時代遅れだと揶揄されその裏側では、最近の若者は、、ともう聞き飽きた時代錯誤の小言をこぼす元若者の姿があって。

 

でも、たかだか平成を20年生きただけの自分でも感じることもある。

時代が進むにつれて歳を重ねるにつれて表現する場所や時、掻き立てられるような想像力は増していくはずなのに、むしろ減っている気がする。本当はそれの正体に気がついているのに読書をしたり音楽や映像作品を見て色々な人の表現に触れる事で満たされようとする自分がいて、それでいても満たされない事もあったり。

 

僕達は知恵を手にしてしまったばかりに何処かに物足りなさを感じてしまう。

昔は何も考えずになりふり構わず好きな事を好きな様に好きな時に叫んで泣いたり、怒ったり無知が故に言いたい事も言えた。

 

今は色々なしがらみの中で生きている、これを言ったら不愉快に思う人どれだけがいるのだろうとか、仲間内では冗談で済むことも一歩外に出ると理解されなかったり。歳を重ねるにつれて表現の幅は狭まり、言動に責任が伴う。それは賢いほどに権限があるものに程まとわりつく。同じ人間に序列は付けたくないけど、学のないホームレスと東大主席卒業のエリート官僚を比べたら一目瞭然でしょう。

 

表現とは何かと考えるほどに頭が痛くなる。

賢くなればなるほど馬鹿になっている気がしてならない、純粋無垢なあの頃が懐かしいよ。これから歳を重ねて、時代背景なども相まって表現の幅が狭まるのが怖い。

 

新しい時代の到来に戸惑いを隠せないけど、

今は未来を愁いてただ時が流れるのを待つ事しかできない。

そんな弱い自分だけど令和でもよろしくね。