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色々なことを書きます。

嫌煙者と喫煙者。

今回は嫌煙者と喫煙者について、自分が思うことを皆さんに共有していきたいと思います。嫌煙者と喫煙者。僕は圧倒的に前者です。と言いきれたのは一体いつ頃までだったろうか。今となってはどちらでもない、と言うよりは前者だったと表現した方がしっくりくる。何を隠そう僕はもともと超がつくほどの嫌煙家でヤニのにおいが大嫌いでした。

 

と言うのも母が大の嫌煙家でそんな母の影響を色濃く受けて僕も嫌煙家となってしまった。幼少期、家族の中で喫煙者は父だけだった。最初は換気扇の前、それからベランダへと父と煙草の時間はだんだんと外側へ追いやられていった。そんな事もあり僕の嫌煙意識は加速していった。やがて父もいい歳になり健康の事を考えて煙草を辞めると決意した。それから父は本当に煙草を吸うことなくぱったりと辞めてしまった。本人曰く、それほど苦ではなかったようでもう少し早くやめれば良かったとまで言っていた。これで晴れて家族から喫煙者がいなくなったわけだ。

 

それからというもの煙のない暮らしが二年ほど続いた。

そう、父が煙草を辞めて二年後に僕の考えを変える大きな事件が起きたのです。これは今からちょうど一年くらい前の出来事、地方で一人暮らししている兄が下宿から地元へ帰省してきたときの話。兄とは3歳違いで普段から話はするが特別仲が良いわけでもない、そんな兄から急に「喫茶店でも行こうや。」とお誘いがあった。週末に弟も含めてモーニングがてら皆で喫茶店にいくものだと思いあっさりOKをした。

 

ところが完全に僕の勘違いだった。その日の晩、兄から「今から行くか。」と言われた。嫌というわけではないが、兄と二人きりはなぜか変に緊張する。日中にOKをしてしまった手前断れるはずも理由もなく。僕の運転で夜道を走り喫茶店へと向かう、その道中はお互いに好きなアイドルのCDを聞き流しながらそれ関連の話をしてなんとかその場をつないだ。ほどなくして喫茶店についた。本番はここからださっきのように大好きなアイドルは助けてくれない。何を話したらいいかいつもは緊張などしないはずなのにこういう時ばかり変にアガるのは本当に悪い癖だ。さぁいよいよ、喫茶店の扉を開けた。兄の第一声「喫煙席で。」この一言でこれまでの緊張がすべて吹き飛んで、心の中でつい「なんでやねん。」がナチュラルに出てしまった。

 

それから店員さんに喫煙席へと案内された。人生で初めてと言っても過言ではない喫煙席。今でこそ分煙に努めている飲食店が多いが昔はこれが当たり前だったのかぁと喫煙席で飲食をする事に若干抵抗を感じつつもありもしない記憶の断片をなぞり何故か懐かしい気持ちになった。そんな自分がいて、目の前には懐に忍ばせた煙草を慣れた手付きで取り出し火をつける兄がいた。兄が煙草を吸っている光景に最初は違和感しかなかったがほどなくして慣れた。「煙草吸うんだね、あんなに嫌ってたのに。」とつい本音がポロリしてしまった。きっとこの言葉も兄は飽きるほど聞いてきたのだろう。嫌な顔ひとつせず、「いつかわかるよ、本当につらくなった時に助けてくれる。」と一言だけいった。特に深堀りもせず「そうなんだ。」と返した。何故かその兄の言葉には酷く説得力があった、そしてその一言がすべてを物語っている気がした。きっと色々なことがあったんだろうなと、これ以上聞くのが怖くなったのもある。それから小一時間、兄弟水入らずで談笑をして無事家路についた。

 

すべての人が辛くなったり苦しくなった事で喫煙者になるのではなく、格好付けだったり入り口はいくらでもあると思うんです。煙草の良さなんて今の自分にはわからないし、これからもわからないと思う。でもこれだけは言っておきたい。自分のよく知りもしない”事・人・モノ”に対して否定的な意見を持つのはとても恥ずかしいことなんです。僕自身もともとそういう傾向があり人を傷つける様な事は無くてもいざ蓋を開けてみたら、申し訳ない気持ちで一杯になったりという経験が多々ありました。だからこそ、無理に寄り添う必要はなくとも否定的な意見を持つ必要もない。その考えをとても大切にしています。

 

皆さんはどうでしょうか?知らないうちに人を傷つけたりしていませんか?

 

今回は煙草を例にとってこの事を伝えたかったんです。当たり前だけれど忘れてしまいがちな事だからこそ、自分に言い聞かせる意味も込めて書きました。長くなりましたが読んでくれた方、毎度ありがとうございます。それではまた次回の記事でお会いしましょう。

 

ドロン