ultlife

色々なことを書きます。

〇〇脳

自分の自己肯定感の低さに時々嫌気がさす。

 

幼少期からの親の過干渉が原因で、こうあるべきだとか親のなってほしい子供を最低限演じる事で人の顔色を伺うのが当たり前になってしまった。

 

更に出来の良い兄がいた事が少なからず自分の中のコンプレックスとなってそれを加速させた。何で自分だけと精一杯何者かになろうとした、誰かを喜ばせてお道化て保つ自我があって、今思うと少しずつ自分をすり減らしていたんだと思う。

 

そんな中はじめて心から好きになった人がいて、この人なら全て受け入れてくれると思えた。人には必ずひとつやふたつ秘め事があるそれもこれも全部話してもいいと思った。そうやって少しずつ自分をほぐしてくれる人に依存していった。

 

相手の気持ちを確かめる為にあまのじゃくな態度をとってしまい、たびたび喧嘩する事もたくさんあった。試されるのはとてもいい気分ではない、ましてや好きな人からそれをされるのは傷つく。自分は何も変わってなかった、無意識に自分のなってほしい相手を求めてしまっていた。

 

依存もあいまって、結局相手の顔色を伺うようになってしまった。

自分はずっとこのまま心身ともに分かり合えることなく自分をすり減らして生きていくんだろうな。

 

 

平成から令和へ

もう二ヵ月以上も前の事になりますが、元号が平成から令和に移行しましたね。

とは言っても自分の周りも変わったのは元号くらいなもので、、

ざっくりと平成について説明すると、1989年(平成元年)1月8日から2019年平成31年)4月30日まで、つまり第125代天皇の在位期間の事です。

 

昭和が64年間続いただけに平成はその半分ともいかず少し短くも感じました。

そういう事もあり昭和生まれの方々は元号またぎ、まさに平成ジャンプ(誰が上手いこと言えと)をし平成を最初から最後まで見届ける事ができ、少し羨ましくも思います。

 

かく言う僕も1998年平成10年に生を授かり約20年間平成を過ごしてきた生粋の平成男です。令和時代の到来により、そんな平成男も時代の流れに淘汰されて令和色に染まっていくのです。やがて染まりきれずはみ出た者たちがやれ老害だの時代遅れだと揶揄されその裏側では、最近の若者は、、ともう聞き飽きた時代錯誤の小言をこぼす元若者の姿があって。

 

でも、たかだか平成を20年生きただけの自分でも感じることもある。

時代が進むにつれて歳を重ねるにつれて表現する場所や時、掻き立てられるような想像力は増していくはずなのに、むしろ減っている気がする。本当はそれの正体に気がついているのに読書をしたり音楽や映像作品を見て色々な人の表現に触れる事で満たされようとする自分がいて、それでいても満たされない事もあったり。

 

僕達は知恵を手にしてしまったばかりに何処かに物足りなさを感じてしまう。

昔は何も考えずになりふり構わず好きな事を好きな様に好きな時に叫んで泣いたり、怒ったり無知が故に言いたい事も言えた。

 

今は色々なしがらみの中で生きている、これを言ったら不愉快に思う人どれだけがいるのだろうとか、仲間内では冗談で済むことも一歩外に出ると理解されなかったり。歳を重ねるにつれて表現の幅は狭まり、言動に責任が伴う。それは賢いほどに権限があるものに程まとわりつく。同じ人間に序列は付けたくないけど、学のないホームレスと東大主席卒業のエリート官僚を比べたら一目瞭然でしょう。

 

表現とは何かと考えるほどに頭が痛くなる。

賢くなればなるほど馬鹿になっている気がしてならない、純粋無垢なあの頃が懐かしいよ。これから歳を重ねて、時代背景なども相まって表現の幅が狭まるのが怖い。

 

新しい時代の到来に戸惑いを隠せないけど、

今は未来を愁いてただ時が流れるのを待つ事しかできない。

そんな弱い自分だけど令和でもよろしくね。

 

 

いつかきっとわかるよ。

歳を重ねる度に自分の恋愛観が変わっていくのはごく自然な事だと思う。

中学生や高校生の初々しい恋愛は好きです、付き合ってください。からはじまるのに対して20代半ばともなればそうはいかなくて、好きです、付き合ってくださいといった前置きは無しに漠然とゆったりと気怠さまじりにはじまる恋愛が大半で、

 

今思えば10代の頃の好きです、付き合ってくださいから始まる恋愛とそれまでの経緯が物凄く煩わしかった。

その煩わしさを楽しめずに20代に突入してしまい、そんな大人がちゃんとした恋愛を出来るのだろうかと色々と考えてしまう。

 

はじめ方はそれぞれなんだろうけど付き合う前のあれを言ったらとかあれをしたら嫌われるんだろうなというのがものすごく嫌いで、臆病でただ傷つくのが何よりも怖いから何もできず奥手になってしまう自分がいて。それが原因となり知らず知らずのうちに好機を逃してまったりなんて事もしばしば、このままじゃ駄目だと端から自分の気持ちを素直に伝えてみると今度は重い、メンヘラだと揶揄されて、どうやら一筋縄ではいかないみたいです。結局いつもいい人どまり、一体いつになったら幸せになれるのかな。

 

幸せのベクトルは人それぞれだと言うけれど結局人間は生きていれば最後は愛に飢え、愛に散り、愛憎に溺れる。たくさんの愛を乗り越えて、いつか心から愛する人と出会い、、、

なんて言うのはまだまだ先の話で、、

 

本当に、幸せになりたいな。

春の夜空にそっと投げかけたけど返事はなかった。

思い出は呆れるほどに。

小さな頃は空に限らず今よりも色々なものを見上げることが多かった。

よくよく考えてみるとそれは自分の背丈が今よりもずっと小さくて、見える景色も低くてそれでいて少しだけ狭くて、でも色々なものがすごく大きく見えて、そこからしか見ることができない景色だってたくさんあったと思う。

 

いざ大人になると昔見てた色々なものがちっぽけに見えて仕方がない。それと同じくして日々の中で色々な大切なものを見落としてしまっている気がしてならない。そういうものの大切さは大概後になって気が付くことが多いし、でも大人になるってそういう事なのかなと思ったりして、見える景色や感性は以前と比べて豊かになったはずなのになぜだろう、

 

今がそうであるようにそこから見えた景色も思いも僕たちは少しずつ忘れてく、それが悲しくて苦しくて、だからたまに思い出をなぞる様に懐かしい景色を眺めたり、昔あの子と歩いた道、赴いた店、もうあの子は居ないからとあの時よりほんの少しだけ美化された思い出と倦怠感、そっと宝箱にしまっておきたいそんな気持ちと一緒にあの時、あの瞬間を思い起して、言葉にするには少し難しいえも言われぬ気持ちになる。

 

この気持ちはなんで言葉にできないんだろう、もっとちゃんと言葉にして伝えておけばよかったな。なんて今更になってあの頃の自分に嫉妬と後悔を抱きながら帰路に着く。そんな余韻に浸りながら部屋干しのヨレヨレのシャツを眺める。こんな事に感傷的になって僕も随分歳をとったものだ。小さいころに自分が抱いていた大人の理想像と今の自分とのギャップを水に流すかのように缶ビールを身体に流し込む。全部泡になってはじけてしまえばいいのに。明日の朝、空になった缶を眺めながらまた後悔するのも分かってるのに。

 

誰にでも忘れられない忘れたくない瞬間や誰かが心の片隅にいると思うんです。きっとこの思いは何年、何十年たってもこの先どんなに大切で愛おしい人が出来ても変わらないだろうというような。

 

道理はわからないけど、どうやら思い出は呆れるほどに美化されるらしい。

 

こけしと空の青さと広さ

昨年の秋のこと、京都旅行へ行った時に偶然やってた京都国際映画祭。著名な芸人さんがいくらかゲスト出演すると聞いて、予定にはなかったけど飛び入りで参加した。そこで一際目を引いた10m以上はあろうか巨大こけしのモニュメント、堂々とそびえ立つその姿を見上げて、僕はあっけらかんとしてしまった。普段上を向くことの少ない僕は同時にこの空の青さと広さにも気がつかされた。

 

しかしその巨大こけしは今では横たわっているらしい、京都の景観を損なう、条例に引っかかるなど俗にいう大人の事情というやつで、とは言えど作られたこけしに罪はないわけで、もうそのこけしと青空を見上げることはないのかと少し悲しい気持ちになって肩を竦めた。同時にこんな些細な事で一喜一憂する自分のダサい感じと面倒くささが浮き彫りになった。

 

思い返してみると、いつもそうだった。日常に起こる些細な事で揺れうごく心。これはいつからだろうな、きっとかつての友が今の自分を見たら、らしくない。なんて言われるんだろう。でもね、些細な事でさえ気が付けるのは自分の良い所だとも思ってる。こういうのは自分で言う事ではないんだけどね。

 

ずっとずっと人に関心がなかったそんな自分がいま変わりつつある。

誰かが言った、自分に向けた一言でこんなにも感情を揺さぶられる、それって素敵な事じゃないですか。その反面、落ち込んだり傷ついたりする事も多くなったんだ。感情の渦に飲まれて溺れそうになる時もある。でも今はそんなこんなでなんとか生きてるよ。

 

横たわってるこけしも、今は少しだけ、ほんの少し、休んでるだけ、いつかきっとあの時の様に堂々とまた他の誰かに空の青さと広さを教えてくれるんだ。

表現する術を持たない僕たちは。

お久ぶりです。

いつのまにか4月になりすっかりと外も暖かくなり春の訪れを感じます。

新年度皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

かくゆう私もこの4月から社会人3年目に突入したわけで、、

3年目というとやはり周りからの見方も変わってきて求められるものがより大きくなっていわば、新人という括りから外される時期でもあります。時にはプレッシャーと戦い、寄り道なんかもしながらこれまでなんとか仕事を続けられた訳です。これからも適当に、無理せず頑張るつもりです。

 

さて、4月というと新学期のスタート、入学式、入社式、新生活などなど世間一般的には何か新しいものがはじまる、新しいものをはじめるのには絶好の季節です。

そんな中、何をはじめるでもなく4月第1週を無事いつも通り過ごして一人3月に取り残されてしまった訳ですが、これからでもまだ遅くはないと何か新しいことをはじめようと色々と詮索してみたのですが、いざ探してみるといいものが見つからずこういうのは無理にはじめるものでもないなと思い結局ふりだしに戻りました。それも僕らしいなぁと思ったりしながら。

 

近況報告はここまでにして、、

 

最近になって自分の思う事、感じた事を上手く表現できないことが多々あり違和感というかなにか手の届かないところのムズ痒さの様なものを感じてやまないです。まだまだ多感な時期というのもありますが、こうもたくさんあると気持ち悪ささえ覚えるわけで、、表現するのになにか相応しい言葉や方法はないかと調べてみてもしっくりくるものはなく、あぁこれはボキャブラリーの数とか表現技法の乏しさとは関係のないところで起きている問題なんだなぁと、解決策も見つからず少し悲しくなりました。

 

表現する術を持たない僕たちはきっと他の誰かが作った音楽や文章、作品だったりを聴いて、読んで、見て、安堵し、このムズ痒さを昇華しているのだと思う。でもその反面他人任せにする事で自分の可能性をどこか別の場所へ放っているような気がしてやまないのもまた事実で。

 

だから高度な表現方法や感受性に恵まれ生まれ落ちたアーティストや小説家、脚本家、映画監督などがこのうえなく羨ましい、自分と違う観点を持つ人との交流は大切にして、色々な人の感性に触れて自分の感受性を高めて表現の幅を広げたいな、と最近になってようやくそんな思いが強くなってきました。

 

そんなこんなで毎日、劣等感と羨望に埋もれながらも懸命に生きています。

 

今回は特にお題もなく淡々と語ってしまいました。

支離滅裂でとりとめもない文章にお付き合いいただきありがとうございました。

よかったら次回以降の記事も読んでくれると嬉しいです。

 

 

それでは、ドロン。

 

 

嫌煙者と喫煙者。

今回は嫌煙者と喫煙者について、自分が思うことを皆さんに共有していきたいと思います。嫌煙者と喫煙者。僕は圧倒的に前者です。と言いきれたのは一体いつ頃までだったろうか。今となってはどちらでもない、と言うよりは前者だったと表現した方がしっくりくる。何を隠そう僕はもともと超がつくほどの嫌煙家でヤニのにおいが大嫌いでした。

 

と言うのも母が大の嫌煙家でそんな母の影響を色濃く受けて僕も嫌煙家となってしまった。幼少期、家族の中で喫煙者は父だけだった。最初は換気扇の前、それからベランダへと父と煙草の時間はだんだんと外側へ追いやられていった。そんな事もあり僕の嫌煙意識は加速していった。やがて父もいい歳になり健康の事を考えて煙草を辞めると決意した。それから父は本当に煙草を吸うことなくぱったりと辞めてしまった。本人曰く、それほど苦ではなかったようでもう少し早くやめれば良かったとまで言っていた。これで晴れて家族から喫煙者がいなくなったわけだ。

 

それからというもの煙のない暮らしが二年ほど続いた。

そう、父が煙草を辞めて二年後に僕の考えを変える大きな事件が起きたのです。これは今からちょうど一年くらい前の出来事、地方で一人暮らししている兄が下宿から地元へ帰省してきたときの話。兄とは3歳違いで普段から話はするが特別仲が良いわけでもない、そんな兄から急に「喫茶店でも行こうや。」とお誘いがあった。週末に弟も含めてモーニングがてら皆で喫茶店にいくものだと思いあっさりOKをした。

 

ところが完全に僕の勘違いだった。その日の晩、兄から「今から行くか。」と言われた。嫌というわけではないが、兄と二人きりはなぜか変に緊張する。日中にOKをしてしまった手前断れるはずも理由もなく。僕の運転で夜道を走り喫茶店へと向かう、その道中はお互いに好きなアイドルのCDを聞き流しながらそれ関連の話をしてなんとかその場をつないだ。ほどなくして喫茶店についた。本番はここからださっきのように大好きなアイドルは助けてくれない。何を話したらいいかいつもは緊張などしないはずなのにこういう時ばかり変にアガるのは本当に悪い癖だ。さぁいよいよ、喫茶店の扉を開けた。兄の第一声「喫煙席で。」この一言でこれまでの緊張がすべて吹き飛んで、心の中でつい「なんでやねん。」がナチュラルに出てしまった。

 

それから店員さんに喫煙席へと案内された。人生で初めてと言っても過言ではない喫煙席。今でこそ分煙に努めている飲食店が多いが昔はこれが当たり前だったのかぁと喫煙席で飲食をする事に若干抵抗を感じつつもありもしない記憶の断片をなぞり何故か懐かしい気持ちになった。そんな自分がいて、目の前には懐に忍ばせた煙草を慣れた手付きで取り出し火をつける兄がいた。兄が煙草を吸っている光景に最初は違和感しかなかったがほどなくして慣れた。「煙草吸うんだね、あんなに嫌ってたのに。」とつい本音がポロリしてしまった。きっとこの言葉も兄は飽きるほど聞いてきたのだろう。嫌な顔ひとつせず、「いつかわかるよ、本当につらくなった時に助けてくれる。」と一言だけいった。特に深堀りもせず「そうなんだ。」と返した。何故かその兄の言葉には酷く説得力があった、そしてその一言がすべてを物語っている気がした。きっと色々なことがあったんだろうなと、これ以上聞くのが怖くなったのもある。それから小一時間、兄弟水入らずで談笑をして無事家路についた。

 

すべての人が辛くなったり苦しくなった事で喫煙者になるのではなく、格好付けだったり入り口はいくらでもあると思うんです。煙草の良さなんて今の自分にはわからないし、これからもわからないと思う。でもこれだけは言っておきたい。自分のよく知りもしない”事・人・モノ”に対して否定的な意見を持つのはとても恥ずかしいことなんです。僕自身もともとそういう傾向があり人を傷つける様な事は無くてもいざ蓋を開けてみたら、申し訳ない気持ちで一杯になったりという経験が多々ありました。だからこそ、無理に寄り添う必要はなくとも否定的な意見を持つ必要もない。その考えをとても大切にしています。

 

皆さんはどうでしょうか?知らないうちに人を傷つけたりしていませんか?

 

今回は煙草を例にとってこの事を伝えたかったんです。当たり前だけれど忘れてしまいがちな事だからこそ、自分に言い聞かせる意味も込めて書きました。長くなりましたが読んでくれた方、毎度ありがとうございます。それではまた次回の記事でお会いしましょう。

 

ドロン