ultlife

色々なことを書きます。

よすが

歳を重ねるにつれて生きづらさを強く感じる様になってきたついこの頃。

ふとした時に、これから歳をとって本当に何もないただのおじさんになっちゃうんだと思うと生きるのが怖くなる。今だって何が楽しくて、生きてるのか分からなくなる、何より自分への自信のなさがそれをまた加速させている。

最近、というかもうずっとわかっている事なんだけど生きづらさを感じている人は無意識に自分に何か枷を掛けているんだと思う。

他人や自分の理想像と比べたり、こうであるべきとか歳を取るにつれてそれが自分自身と乖離していくことに耐えられなくなったり。

そういった嫉妬や憂いが物凄い勢いで押し寄せてきて、また自分に自信がなくなる。

こんな具体的ではない漠然とした出口のない悩みにどうやって向き合えばいいのかな、でも生きてる以上は何にも気にしないなんて、無理な話で。

大丈夫と大丈夫じゃないを何度も行き来して、ギリギリの所で生きてる。

君は大丈夫だよ、面白いもんと言ってくれるあの人はもういなくて、

 

それでも音楽や映画など安心感や没入感を与えてくれるものだけが癒やしになったり。カネコヤノやandymoriを聞いてる時、最近はサカナクションにもはまった。

それと、あの頃のウィノナ・ライダーユマ・サーマンとかムービースターが自分の心を支えてる。何度でも同じ映画を見返して癒されたり、そんな時間が愛おしくもある。

でも、この先も世の中が自分の都合の良いように変わることなんてないからどんなに生きづらくてもそれでも生きてく。ただなんとなく。

 

記憶、妄想に変わる。

朝晩寒くなり、昨日までの暑さが嘘のように秋の訪れを感じる季節がやってきました。夜道を歩くと微かに芳しい夏の残り香と秋の香、ほんのりと金木犀の香りを感じます。

 

その様はまるで雑多で穿った見方をする自分の胸中を見ているようで少しやるせない気持ちになる。

 

夏の終わり、このコロナ禍の中新しい形の生活様式や総理の辞任に伴う新時代の幕開けと言う事もあり自分の気持ちを整理したく書きます。

 

小さい頃はよかった、何も考えずただ無邪気に走って転んでたまには休憩でもして、何より疲れ知らずで怖いもの知らずだった。

小さいながらも人を好きになったり、嫌いになったり。人との関わりあいの中で色々な感情がうまれて、自分という人間が形成されていった。

 

これまでの人生、好きな人とはじめて手を繋いだ日、ハグをした日、キスをした日、生きてれば当たり前の事だけどだんだんはじめてがなくなっていく事が少しだけ哀しくて、それでもやっぱり嬉しかった。

 

社会人一年目の夏休み、
意気揚々と走らせた車は君を乗せたまま帰り道あと少しのところでパンクした。スペアがなかったので業者が来るまでの時間、歩いて向かったドラッグストアで買ったアイスを美味しそうにほおばる君の横顔をずっと眺めていたかった。

 

夏の生ぬるい風に吹かれながら談笑した時間はかけがえのないもので、汗ばんだ服の匂いでさえも愛おしくて深く心に刻まれた。この感情に名前をつけるのは少し難しい、自分のボキャブラリーの乏しさを恨んだ。

 

自分は弱い人間だから一人では生きていけない、これからも誰かと共に生きていきたい。支えてくれる人がいれば少しは強くなれるんだと思いたい、何より帰る場所がある事は心の支えになると思う。

 

これまで自分の人生に少なくとも影響を与えてくれた全ての人に感謝。

 

〇〇脳

自分の自己肯定感の低さに時々嫌気がさす。

 

幼少期からの親の過干渉が原因で、こうあるべきだとか親のなってほしい子供を最低限演じる事で人の顔色を伺うのが当たり前になってしまった。

 

更に出来の良い兄がいた事が少なからず自分の中のコンプレックスとなってそれを加速させた。何で自分だけと精一杯何者かになろうとした、誰かを喜ばせてお道化て保つ自我があって、今思うと少しずつ自分をすり減らしていたんだと思う。

 

そんな中はじめて心から好きになった人がいて、この人なら全て受け入れてくれると思えた。人には必ずひとつやふたつ秘め事があるそれもこれも全部話してもいいと思った。そうやって少しずつ自分をほぐしてくれる人に依存していった。

 

相手の気持ちを確かめる為にあまのじゃくな態度をとってしまい、たびたび喧嘩する事もたくさんあった。試されるのはとてもいい気分ではない、ましてや好きな人からそれをされるのは傷つく。自分は何も変わってなかった、無意識に自分のなってほしい相手を求めてしまっていた。

 

依存もあいまって、結局相手の顔色を伺うようになってしまった。

自分はずっとこのまま心身ともに分かり合えることなく自分をすり減らして生きていくんだろうな。

 

 

平成から令和へ

もう二ヵ月以上も前の事になりますが、元号が平成から令和に移行しましたね。

とは言っても自分の周りも変わったのは元号くらいなもので、、

ざっくりと平成について説明すると、1989年(平成元年)1月8日から2019年平成31年)4月30日まで、つまり第125代天皇の在位期間の事です。

 

昭和が64年間続いただけに平成はその半分ともいかず少し短くも感じました。

そういう事もあり昭和生まれの方々は元号またぎ、まさに平成ジャンプ(誰が上手いこと言えと)をし平成を最初から最後まで見届ける事ができ、少し羨ましくも思います。

 

かく言う僕も1998年平成10年に生を授かり約20年間平成を過ごしてきた生粋の平成男です。令和時代の到来により、そんな平成男も時代の流れに淘汰されて令和色に染まっていくのです。やがて染まりきれずはみ出た者たちがやれ老害だの時代遅れだと揶揄されその裏側では、最近の若者は、、ともう聞き飽きた時代錯誤の小言をこぼす元若者の姿があって。

 

でも、たかだか平成を20年生きただけの自分でも感じることもある。

時代が進むにつれて歳を重ねるにつれて表現する場所や時、掻き立てられるような想像力は増していくはずなのに、むしろ減っている気がする。本当はそれの正体に気がついているのに読書をしたり音楽や映像作品を見て色々な人の表現に触れる事で満たされようとする自分がいて、それでいても満たされない事もあったり。

 

僕達は知恵を手にしてしまったばかりに何処かに物足りなさを感じてしまう。

昔は何も考えずになりふり構わず好きな事を好きな様に好きな時に叫んで泣いたり、怒ったり無知が故に言いたい事も言えた。

 

今は色々なしがらみの中で生きている、これを言ったら不愉快に思う人どれだけがいるのだろうとか、仲間内では冗談で済むことも一歩外に出ると理解されなかったり。歳を重ねるにつれて表現の幅は狭まり、言動に責任が伴う。それは賢いほどに権限があるものに程まとわりつく。同じ人間に序列は付けたくないけど、学のないホームレスと東大主席卒業のエリート官僚を比べたら一目瞭然でしょう。

 

表現とは何かと考えるほどに頭が痛くなる。

賢くなればなるほど馬鹿になっている気がしてならない、純粋無垢なあの頃が懐かしいよ。これから歳を重ねて、時代背景なども相まって表現の幅が狭まるのが怖い。

 

新しい時代の到来に戸惑いを隠せないけど、

今は未来を愁いてただ時が流れるのを待つ事しかできない。

そんな弱い自分だけど令和でもよろしくね。

 

 

いつかきっとわかるよ。

歳を重ねる度に自分の恋愛観が変わっていくのはごく自然な事だと思う。

中学生や高校生の初々しい恋愛は好きです、付き合ってください。からはじまるのに対して20代半ばともなればそうはいかなくて、好きです、付き合ってくださいといった前置きは無しに漠然とゆったりと気怠さまじりにはじまる恋愛が大半で、

 

今思えば10代の頃の好きです、付き合ってくださいから始まる恋愛とそれまでの経緯が物凄く煩わしかった。

その煩わしさを楽しめずに20代に突入してしまい、そんな大人がちゃんとした恋愛を出来るのだろうかと色々と考えてしまう。

 

はじめ方はそれぞれなんだろうけど付き合う前のあれを言ったらとかあれをしたら嫌われるんだろうなというのがものすごく嫌いで、臆病でただ傷つくのが何よりも怖いから何もできず奥手になってしまう自分がいて。それが原因となり知らず知らずのうちに好機を逃してまったりなんて事もしばしば、このままじゃ駄目だと端から自分の気持ちを素直に伝えてみると今度は重い、メンヘラだと揶揄されて、どうやら一筋縄ではいかないみたいです。結局いつもいい人どまり、一体いつになったら幸せになれるのかな。

 

幸せのベクトルは人それぞれだと言うけれど結局人間は生きていれば最後は愛に飢え、愛に散り、愛憎に溺れる。たくさんの愛を乗り越えて、いつか心から愛する人と出会い、、、

なんて言うのはまだまだ先の話で、、

 

本当に、幸せになりたいな。

春の夜空にそっと投げかけたけど返事はなかった。

思い出は呆れるほどに。

小さな頃は空に限らず今よりも色々なものを見上げることが多かった。

よくよく考えてみるとそれは自分の背丈が今よりもずっと小さくて、見える景色も低くてそれでいて少しだけ狭くて、でも色々なものがすごく大きく見えて、そこからしか見ることができない景色だってたくさんあったと思う。

 

いざ大人になると昔見てた色々なものがちっぽけに見えて仕方がない。それと同じくして日々の中で色々な大切なものを見落としてしまっている気がしてならない。そういうものの大切さは大概後になって気が付くことが多いし、でも大人になるってそういう事なのかなと思ったりして、見える景色や感性は以前と比べて豊かになったはずなのになぜだろう、

 

今がそうであるようにそこから見えた景色も思いも僕たちは少しずつ忘れてく、それが悲しくて苦しくて、だからたまに思い出をなぞる様に懐かしい景色を眺めたり、昔あの子と歩いた道、赴いた店、もうあの子は居ないからとあの時よりほんの少しだけ美化された思い出と倦怠感、そっと宝箱にしまっておきたいそんな気持ちと一緒にあの時、あの瞬間を思い起して、言葉にするには少し難しいえも言われぬ気持ちになる。

 

この気持ちはなんで言葉にできないんだろう、もっとちゃんと言葉にして伝えておけばよかったな。なんて今更になってあの頃の自分に嫉妬と後悔を抱きながら帰路に着く。そんな余韻に浸りながら部屋干しのヨレヨレのシャツを眺める。こんな事に感傷的になって僕も随分歳をとったものだ。小さいころに自分が抱いていた大人の理想像と今の自分とのギャップを水に流すかのように缶ビールを身体に流し込む。全部泡になってはじけてしまえばいいのに。明日の朝、空になった缶を眺めながらまた後悔するのも分かってるのに。

 

誰にでも忘れられない忘れたくない瞬間や誰かが心の片隅にいると思うんです。きっとこの思いは何年、何十年たってもこの先どんなに大切で愛おしい人が出来ても変わらないだろうというような。

 

道理はわからないけど、どうやら思い出は呆れるほどに美化されるらしい。

 

こけしと空の青さと広さ

昨年の秋のこと、京都旅行へ行った時に偶然やってた京都国際映画祭。著名な芸人さんがいくらかゲスト出演すると聞いて、予定にはなかったけど飛び入りで参加した。そこで一際目を引いた10m以上はあろうか巨大こけしのモニュメント、堂々とそびえ立つその姿を見上げて、僕はあっけらかんとしてしまった。普段上を向くことの少ない僕は同時にこの空の青さと広さにも気がつかされた。

 

しかしその巨大こけしは今では横たわっているらしい、京都の景観を損なう、条例に引っかかるなど俗にいう大人の事情というやつで、とは言えど作られたこけしに罪はないわけで、もうそのこけしと青空を見上げることはないのかと少し悲しい気持ちになって肩を竦めた。同時にこんな些細な事で一喜一憂する自分のダサい感じと面倒くささが浮き彫りになった。

 

思い返してみると、いつもそうだった。日常に起こる些細な事で揺れうごく心。これはいつからだろうな、きっとかつての友が今の自分を見たら、らしくない。なんて言われるんだろう。でもね、些細な事でさえ気が付けるのは自分の良い所だとも思ってる。こういうのは自分で言う事ではないんだけどね。

 

ずっとずっと人に関心がなかったそんな自分がいま変わりつつある。

誰かが言った、自分に向けた一言でこんなにも感情を揺さぶられる、それって素敵な事じゃないですか。その反面、落ち込んだり傷ついたりする事も多くなったんだ。感情の渦に飲まれて溺れそうになる時もある。でも今はそんなこんなでなんとか生きてるよ。

 

横たわってるこけしも、今は少しだけ、ほんの少し、休んでるだけ、いつかきっとあの時の様に堂々とまた他の誰かに空の青さと広さを教えてくれるんだ。